本の紹介『続 日本人の英語』(岩波新書)
『続 日本人の英語』(マーク・ピーターセン著)
こんにちは。夫です。
今回は以前当ブログで紹介した岩波新書『日本人の英語』の続編を紹介します。
続編である本書もまた名著です。
基本情報
書 名:続 日本人の英語
著 者:マーク・ピーターセン
出版社:岩波書店
発売日:1990/09/20
内容
著者によれば、前著『日本人の英語』では、日本人は「読む」のは得意でも「書く」のは苦手という前提から出発していましたが、続編である本書では、その前提を疑い、「日本人がどこまで正確に英語の微妙なところまで読んでいるのか」を中心に考えてみたとのこと。
日本人にとってはあまり違いがわからないけれど、ネイティブにとってはかなり意味合いの異なる表現などが文例と詳しい解説で書かれています。
本書からいくつか「なるほど」と思ったポイントを紹介したいと思います。
1.大学の図書館に勤めているの言い方
I Work ____ the University Library.
という文の____には、at, in, for などの前置詞が入ります。どれも、大学図書館で働いているという意味の日本語になりますが、そのニュアンスの違いがわかるでしょうか。
一言でいえば、”at”は働く場所として意識し、外から見た「あそこ」で働いているという意識が強いものになり、"in"は建物や組織を意識し、自分の仕事場は「図書館の中(この部分)にある」という意識が強いものになり、"for"は「○○のために」という意識が強くなる、ということのようです。
言われてみればそうなんだろうなという気持ちですが、これを意識して英語を読めるか、話せるかは結構難しいことだと思います。例えば、組織が小さくなればなるほど "in"を自然に使える機会が少なくなりますが、意識していないと非常に小さい会社でも"in"を使ってしまい、不自然な表現となってしまうかもしれません。
2.三つの使役動詞の違い
本書では、
①I made my mother write the letter.
②I had my mother write the letter.
③I let my mother write the letter.
という三つの文で使役動詞の違いを解説してくれています。
3つの使役動詞を強制の度合いで並べると、make>have>let の順になります。①は母が嫌だと言っても書かせた、②はお母さんが書きたがったわけでも嫌がったわけでもないが(自然に)書いてもらった、③は母が自分から書きたいと言ったので書かせてあげた、というようなニュアンスの違いがあります。
文法上は使役動詞ではありませんが、似たような意味で使われる単語として"get"があります。"(get) someone to do (something)"でも、同じように「させる、してもらう」を表現できますが、これは、「説得して○○してもらう」という"persuasion"の意味合いが含まれている表現です。つまり、「最初は断られていたけれど、説得して○○してもらえることになった」という場合は"get"を使った表現が適していることになります。
3.アングロサクソン系とラテン系
英語の美しい言葉の中で、"meadow"という名詞がベスト・ワンぐらいではないかと思う。和訳されると「草地」などと特に美しくは思えないような日本語になってしまうが、英語としての meadow のイメージは、鬱蒼とした森の中に、樹木の生えていない、明るい空間がある。そこにはいろんな種類に草もあれば、野の花もあちこちに咲いている。土はやわらかそうで、ところどころ水のせせらぎが聞こえてくる。その平穏の中に暮らしている小鳥たちのところに、仔鹿も遊びに来る。よく見ると、バンビだ。それが" a meadow"である。(本書より引用)
筆者は、"meadow"という単語からこれだけのイメージが浮かぶと言います。確かに meadow を画像検索すると、glassland を画像検索 したのとは少し異なり、筆者の言うような情景がたくさんヒットします(主観的なものですが、私は meadow の検索結果の方に詩的な美しさを感じます)。
この"meadow"という単語は、アングロサクソン系の古英語から来ており、日本語で言えば「大和言葉」に当たるとのこと。"strawberry"(苺)や”brindle"(斑色=ぶちいろ・ふいろ)や"kindling"(焚き付け)など、アングロサクソン系の言葉は昔の人間が使ってきた素朴で自然な言葉だと感じるようです。
一方で、"condominium"(共同管理住宅)や"excommunicatory"(破門の原因となる)や"submission"(提出)などのラテン系の言葉からは機械的に作り上げられた印象を受けるようです。
そのため、フォーマルな表現にはラテン系の単語が、カジュアルな人間臭い表現にはアングロサクソン系の単語が適しているようです。
たしかにネイティブではない私も、ラテン系の単語の綴りからはどことなく格式ばったものを感じます。
小説などを読むときに
本書を読んでから、あらためて過去読んだ英語小説などを振り返ってみると、自分が思い描いていたイメージと筆者のイメージが違うのではないかと思う部分がたくさんありました。例えば、村上春樹の「Norwegian Wood(ノルウェイの森)」の一場面に"a meadow"でのシーンがありますが、美しい場面ですので、やはり上記のような"meadow"の情景を思い浮かべなければ陳腐なものに感じてしまいます。
TOEICのような試験勉強をしていると、意味さえ通れば、なぜ複数の英語表現からその表現を選んだのかまでは考えないことが多くなります。しかし、小説や映画などの場合は、その表現を使う理由や背景について考えながら鑑賞することで、より深く英語の感覚を養うことができると思います。
試験勉強では養えない微妙な感覚をつかむための参考書として、ぜひ本書を手に取ってみてください。