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本の紹介 『日本語と外国語』(岩波新書)

日本語と外国語(鈴木孝夫著)

こんにちは。夫です。

今回は、言語社会学者鈴木孝夫先生の、『日本語と外国語』(岩波新書1990)を紹介します。

英語で小説などを読んでいるときに、決して単語は難しくないのに首をかしげるような表現が登場することはないでしょうか。もしかするとそれは、日本語と英語(外国語)の構造の違いや文化的な背景の違いからきているものかもしれません。

この本は、辞書を頼りに文章を読むだけでは外国のことがらについて真の理解は得られないことを様々なエピソードで教えてくれます。あわせて、真の国際理解を進めるための言葉に対する向き合い方のヒントを与えてくれます。発行は古いですが、今読んでも十分に価値のある一冊です。

基本情報

書 名:日本語と外国語

著 者:鈴木孝夫

出版社:岩波書店

発売日:1990/1/22

内容の紹介

本書は、英語学習の本でも、英語に絞った内容の本でもありません。あくまでも言語学的視点から、日本語と外国語の違い、国による文化の違い等に光を当てて、真の国際理解への一助を与えてくれる本です。しかし、日本語と外国語、その背景文化の違いを理解することで、単語長や辞書を読むだけでは得られない「視点」があることを教えてくれます。TOEIC等のスコアに直結するものではないかもしれませんが、語学学習者にとって知っておくべき内容がたくさん盛り込まれています。

以下、本書の中からわかりやすい例を少し紹介します。

1.黄色い封筒、黄色い太陽

「黄色い封筒」というと、日本人はその文字通り、「黄色」の封筒を思い浮かべると思います。例えば、「黄色い封筒」で画像検索した際には以下のような画像がヒットしますが、こういうものが日本語でいう「黄色い封筒」のイメージだと思います。

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「黄色い封筒」とGoogle検索した結果

しかし、フランス語で「黄色い封筒」を意味する「enveloppe jaune」は、日本で事務的な書類を送付する際によく利用する薄茶色のもの(いわゆる「茶封筒」)を指します。英語で「yellow envelope」と検索しても同じような画像がヒットするので、英語でも同じようなイメージで使われるのだと思います。

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「enveloppe jaune」とGoogle検索した結果

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「yellow envelope」とGoogle検索した結果

画像を比較すると、色の違い(ちょっと微妙ですが)もありますが、日本の場合は通常の書類を送る事務用封筒はヒットせず、英仏では事務用封筒がヒットするという違いは大きいと思います。

日本では「茶封筒」という言葉が定着しており、封筒を「黄色」というのは、その封筒がまさに文字通り黄色をしている場合に限られます。しかし、フランス語の小説ではよく事務用の「黄色い封筒」が登場するようで、その際に文字通りの「黄色」を思い浮かべていると、作者の意図とは違ったものをイメージしてしまうことになるでしょう。

本書の中の例では、「黄色い靴」というのも紹介されていました。これも文字通りの黄色ではなく、明るい茶色の革靴のことのようです。ビビットな黄色い靴をイメージしてしまうと、人物像を読み誤ってしまうかもしれませんね。

 

また、太陽の色についても、国によってイメージが変わります。

日本人はおそらく、太陽の色は「赤」と考えることが多いと思いますが、英語圏では「黄色」と考えられています。著者の経験では、クロスワードパズルの「Q:The color of the sun」の答えも「yellow」だったとのこと。

これも画像検索してみると、英語で検索した方が黄色っぽいイラストが多くヒットします。

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「太陽 イラスト」でGoogle検索した結果

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「sun illustration」でGoogle検索した結果

これらの例が示すことは、日本語の方が色の描写において忠実で正確だということではありません。日本語でも、緑色の信号を「青信号」と言うこともあるように、どの色を用いて表現するかは、文化的な背景に大きく依存しているということを示しています。

2.抽象度の違い

背後に固有の風土条件や文化的要因がある場合を除いて、一般的な語の意味構造を概観すると、日本語の基本語彙である和語は英語のそれよりも抽象性が高く、その結果として総語彙数が少ないが、英語の基本語には個別具体性に富むものが多いため、語彙数が多いという傾向を指摘できる。
(本文より引用。太字強調は夫による) 

これはどういうことか、本文の例を引用して紹介します。

例えば、「かわ」(皮、革)という日本語の名詞で、日本語では木のかわや動物のかわなどいろいろな「かわ」を同じ「かわ」という単語でいうことができます。具体的に特定が必要な場合には、「動物のかわ」とか「毛がわ」「木のかわ」などと修飾することになります。

一方、英語では実に様々な単語があり、「動物のかわ」「木のかわ」というのはあらかじめ別の単語が存在するのです。本書から例を抜粋すると、「かわ」に対応する名詞は下の表にあるように多くあります。

skin 動物の皮(一般的) かわ
(何物かが外部と接する境界面)
hide 販売、加工の原料としてのかわ
fur 毛のついているかわ、毛がわ製品
pelt 未だ毛のついている生のかわ
leather      製品になったかわ
bark 木のかわ
rind 西瓜やチーズの固いかわ
peel オレンジなどの剥いたかわ
sheath 竹(の子)のかわ
husk 豆や穀物のかわ
shell 動植物の固い外被(から、さや)
crust 堅い外被、パンのかわ
film 薄い膜のようなかわ
skim 牛乳のうすかわ
case 時計のかわ(金がわ)

次に、日本語の「なく」(動詞)に対応する英単語です。

cry 人や動物が大声でなく なく(生物が言語的な意味を持たない発生をする)
weep 涙を流してなく
sob すすりなく
blubber 顔をゆばめて大声でなく
whimper 悲しげにとぎれとぎれになく
wail 悲しげになく
moan 苦しそうになく
bark 犬がなく
howl 大声でわめくようになく
bay 犬が遠吠えしてなく
roar 大きな動物が低い声でなく
yelp 犬が鋭く短い声でなく
yap 子犬がうるさくキャンキャンとなく
whine 犬などが鼻声でなく
low 牛がなく
bellow 牛が大声でなく
moo 牛がモーッとなく(幼児語)
neigh 馬がなく
whinny 馬が嬉し気にいななく
grunt 豚がブーブーとなく
spueak 豚(鼠)がキューキューとなく
spueal 子豚がキューキューなく
bleat 羊がなく
baa 羊がメーとなく
bray ロバがなく
sing 小鳥がなく
chirp 小鳥や虫がチーチーなく
twitter 小鳥がチュクチュクとなく
warble 小鳥がさえずる
caw カラスがなく
crow 雄鶏がときをつくる
pipe シギやチドリがなく
cackle 鶏がやかましくなく
peep ヒヨコがピーピーとなく
quack アヒルがなく
honk 白鳥や雁がなく
coo 鳩がなく
hoot ふくろうがなく
screech ふくろうやインコがなく
call 動物が大声で呼ぶようになく
whoop 鶴がなく
croak 蛙がなく
toot 山鳥や雷鳥がラッパのようになく
mew(meow) 猫がなく                                               
miau
(miaol,miaow)

圧巻の量ですね…。

日本語の「吠える」「叫ぶ」などの単語も上記表の一部に対応するとは思いますが、それでも、広い意味で「なく」という意味の日本語に対して、これほどまでに細分化された英単語が存在することは、日本人にとっては驚くべきことではないでしょうか。

上の単語の一つについて「なく」という意味だけで記憶していると、小説の中で動物がないている場面に出会ったときに、作者の意図とは違った鳴き方を勝手にイメージしてしまうかもしれません。

3.犬・馬の肉、太陽と月

日本人は英語を通じてイギリス人やその文化への理解もそれなりに持っていると思うのですが、イギリス人は馬肉を食べないということを知っている人は少ないのではないでしょうか。日本人は馬肉をよく食べるので、軽い気持ちでイギリス人に馬肉を進めると思わぬトラブルになるかもしれません。同じくイギリス人は犬の肉も食べないので、犬肉を食べることをすすめるのも避けるべきでしょう(あまりなさそうですが・・・)。

また、太陽に関する考え方についても、日本人とアラブの人々との間には大きな違いがあります。日本人は、太陽や日の丸というものに肯定的な感情を持つことが多いと思います。しかし、アラブの人々にとっては、太陽は恵みを与える生命の源ではなく、まかり間違えば死を意味する存在だと言われています。イスラム文明の中では、月こそ美であり救いであるとかんがえられており、国旗の中にも多く取り入れられているのはそのためです。

語学学習のひとやすみに

上記のような例はあくまでも一例です。

それを知っているかというよりも、「そういう可能性があること」を知っているかという点が大事なように思います。そして、それは語学学習を機械的にやっているだけでは身につかないものです。

語学学習のひとやすみに、言語学的な観点から外国語を勉強してみるのもよいのではないでしょうか。